城跡
蔦ヶ嶽城跡
1560年(永禄3年)に宗像氏貞が造った山城。宗像氏貞は現在の宗像市にある宗像大社の宮司の家系の戦国大名。付近には本丸跡、二の丸跡、三の丸跡、空堀跡が残っている。
岡城址
麻生隆守の居城跡で、麻生家延によって造られたと言われている。1587年(天文15年)瓜生貞延が攻め取り城主になって以後、宗像氏の属城となる。本丸跡、二の丸跡が残っている。
遺跡
磯部古墳群
4世紀後半と考えられる前方後円墳2基。
榎坂貝塚
現地は畑である。縄文後期土器、石器、貝、獣骨などと共に貝輪を腕につけた人骨出土。
門田古墳群
円墳現存。門田溜池の周囲には須恵器片が発掘された門田池遺跡群をはじめ古墳群などが点在する。
中国古銭出土地
カメ4個出土。
神社・寺・文化財
神社・寺
景石神社(牧神社)
波津の海岸を眺める小高い場所にある小さな社で、もとは湯川山にあった牧神社を合祀っている。牧神社は湯川山にあった牧場にちなんだもので、言い伝えでは源平合戦で有名な名馬摺墨が出たと言われている。
妙見宮(大原神社)
以前は山妙見と浜妙見があったが、現在は浜妙見に両社を合祀して大原神社と言う。境内には樹齢600年と推定される、町指定天然記念物の銀杏がある。
宝珠山竜寿院真福寺
江戸時代の火災により開基は不明。少なくとも1500年頃には存在していたと思われる。寺の前庭にある蘇鉄は町指定天然記念物で、高さが5メートルあり、樹齢は270年ほどといわれている。
成田山不動寺
昭和39年12月、千葉県成田市成田にある真言宗智山派の大本山成田山新勝寺より、不動明王をお迎えして開山する。昭和62年に現在の本殿が完成し、平成7年には大しめ縄が奉納されるなど、年々発展を続けている。
文化財
高倉神社
神功皇后伝説にまでさかのぼる古い縁起を持つ高倉神社は、旧遠賀郡18か村の総社として古くから信仰を集めている。その社の中、堂々とした社殿を持つ境内は、今も岡垣町民の大切な場所である。
毘沙門天像/県指定文化財(右写真)
邪鬼を含む高さが227.5センチメートルのこの像は、1491年(延徳3年)に須藤駿河守行重の命により、筑前芦屋の鋳物師、大工大江貞盛により造られた。芦屋釜で有名な、芦屋鋳造関係の資料として貴重なものである。
玉雲山龍昌禅寺
開運・安産・諸病平癒の祈願を行う「疝癪(せんじゃ)封じ」で知られる隆昌寺は曹洞宗の禅寺で、1490年代に麻生弘繁が建立し、1617年(元和3年)に井上周防が再興した。
紙本著色黒田如水像/県指定文化祭
縦97.5センチメートル、横48.5センチメートルの掛幅装で、井上周防が君主黒田如水を追慕して寄進したものである。
紙本著色井上周防像/県指定文化財
井上周防の晩年の姿が描かれている。縦94.5センチメートル、横36.3センチメートルの掛幅装である。
紙本著色釈迦八相涅槃図/町指定文化財
表装部と絵画部(縦147.5センチメートル、横115.6センチメートル)が1枚に描かれているこの図は、寺伝によると黒田長政の娘菊姫が寄進したものと言われている。
福聚山海蔵寺
1333年(正慶2年)に大暁禅師により開山され、須藤駿河守行重により再興された臨済宗の寺院。
木造馬頭観音像/県指定文化財
体内銘文より、1441年(嘉吉元年)に京都の三条いのくま仏所の仏師である祐尊により造られたことがわかる。像高62.4センチメートルのこの像は、かつては50年に1度の御開帳であったが、現在は年に1度2月18日に公開されている。
紙本著色大暁禅師像/町指定文化財
江戸時代のもので、描かれている紙のサイズは縦79センチメートル、横36センチメートルである。
松原山安楽院極楽寺
古くは885年(仁和元年)に法相宗の寺としての建立にまでさかのぼれるが、1615年(元和元年)の再興以降、浄土宗の内浦の長源寺の末寺となる。
絹本著色涅槃図/町指定文化財
寺伝では1388年(嘉慶2年)の作とされている。涅槃図とは釈迦が入滅するときの様子が描かれている。作者は狩野弥介と箱の銘に書かれている。
鰐口/町指定文化財
1573年(元亀3年)に造られたもので、室町時代の典型的なものである。銘に鋳師益忠の名があることから、芦屋鋳物師と関係があるのではと言われている。
木造阿弥陀如来立像/町指定文化財
像高99センチメートルの安楽院の本尊。制作年代は室町時代であるが、頭部が非常に精巧なのに対して胴体部分は荒造りとなっている。これは、後になって胴体部分のみを地方の仏師が造ったためと思われる。
東向山隆守院
岡城主麻生隆守の霊を供養するために、1653年(承応2年)に建てられた曹洞宗の寺院。
木造胎蔵界大日如来像/町指定文化財
隣にあった勝業寺の本尊として祀られていたが、明治維新のときに廃寺となったため隆守院に安置されたものである。膝裏の銘により、1517年(元亀2年)に造られたことがわかり、16世紀の岡垣町の歴史を知るうえで貴重な資料である。
薬師堂
木造薬師如来坐像/町指定文化財
もとは内浦にある法応寺の本尊であったがものを後にここに移して祀ってきたものであると言われている。作成時期は推定で平安期。像高90.8センチメートル。
木造二天王立像/町指定文化財
薬師如来の脇侍である。1体は多聞天(像高100センチメートル)だが、もう1体は不明(像高100センチメートル)である。
木造十二神将立像/町指定文化財
十二神将は薬師如来の守護神で、天衣甲冑をつけた武将の姿で表されているが、現在では個々の判別は困難である。作は室町後期のものと思われる。像高76.5センチメートル。
動画情報
海蔵寺
湯川山のふもと、内浦にある海蔵寺は、1333年に開山された臨済宗大徳寺派の寺院です。ご本尊は木造馬頭観音座像で県の文化財に指定されています。
須賀神社
岡垣町大字野間字大日焼(注:テロップ内「大日暁」は誤りです)にあり、建てられた時期は不明ですが天正年間(てんしょうねんかん)(1573から1591年)の棟札があるので、それ以前からあったことは確かなようです。現在社務所は公民館として利用されています。
氏森神社
神殿の裏手に氏守八幡宮の腰掛石があります。参拝したご婦人がこの石に腰掛けて安産を願えば安産・子宝に恵まれるといわれ、安産の神様として有名で、遠くからも参詣者が訪れます。
宝樹院
岡垣町山田字地蔵面(やまだあざじぞうめん)にあって、清石山弘増寺と号し、浄土宗鎮西派です。
安楽院
四条天皇に仕えていた官女たちは天皇の菩提を弔うために諸国を巡歴して九州に下り、安楽院に参詣し万谷上人より受戒を受けられました。この史実は遠賀郡旧史に記載されているもので、安楽院は長い年月を当方随一の古寺としてその名を誇っています。
岡城址
吉木区の吉木小学校側の小高い丘に建っていたとされる岡城。この城は麻生隆守の居城跡で麻生家延(あそういえのぶ)によって造られたものといわれています。
真福寺
宝樹山竜寿院と号し浄土宗西山派です。真福寺の開基は不明ですが、各文献によりますと鎌倉時代後期から存在していたと記されています。
大原神社
境内には樹齢600年と推定される、町指定天然記念物の銀杏(いちょう)があります。
歴史ロード
今では珍しい鏝絵の残る吉木の古い町並みを歩きましょう。途中、麻生隆盛の菩提寺、隆守院があります。室町時代末期に作られた「大日如来座像」を拝んで行きましょう。
歴史半日コース
まずは岡垣町の木でもある樟をはじめとする緑があふれる高倉神社で自然を満喫しましょう。境内には県指定文化財、銅製毘沙門天立像や樹齢はいずれも350年以上と推定される楠の大木、神功皇后がお手植えされたと云われる綾杉など、見所がいっぱいです。