鹿児島県の北西部に位置する阿久根市に、芋焼酎造りに生涯をかける杜氏がいます。
その名は「黒瀬安光」。
「杜氏の中の杜氏」と呼ばれる黒瀬杜氏が、本格焼酎岡垣を手掛けています。
江戸時代初期「黒瀬」物語のすべてはここから始まった
薩摩焼酎を全国に広めた阿久根の地。その歴史は江戸時代にさかのぼります。
三代将軍徳川家光の時代、阿久根に移住した折口伊兵衛は、焼酎を造り「千酒」(ちざけ)と銘打って販売していました。薩摩藩主島津光久が阿久根に宿を取ったときに献上したところ、おいしいと称賛されました。
当時、上質な酒が「諸白」(もろはく)と呼ばれていたことにちなみ、光久から「阿久根諸白」の銘が与えられました。以降阿久根の焼酎と国分のたばこは鹿児島の特産品として江戸や上方に広まっていきます。
各地の杜氏を生んだ「黒瀬」集落焼酎界で唯一の杜氏の里に
鹿児島県南さつま市笠沙町に「黒瀬」という地区があります。明治時代、この地から琉球に渡った黒瀬金次郎ら3人が泡盛の製造技術を学び持ち帰ります。技を得た男たちは、仕込みの時期になると九州各地の焼酎の蔵に出掛け、杜氏として腕を振るいました。
やがて男たちは焼酎造りの一切を任され「黒瀬杜氏」と呼ばれるようになります。このことから黒瀬の地は、焼酎の世界では唯一の「杜氏の里」として知られるようになったのです。
その名は「黒瀬安光」いにしえの技法を今に伝える
1937(昭和12)年、鹿児島県南さつま市笠沙町黒瀬地区に生まれた黒瀬安光氏。15歳から焼酎造りに携わります。九州各地でイモ・麦・米をはじめ、ソバ・トウモロコシ・エノキダケなど12種類の原料の焼酎造りに従事。そして、それぞれの土地の気候や風土と原料の特性を体得した「黒瀬杜氏の伝承の技」と、焼酎造りに欠かすことができない麹(こうじ)を数多く使いこなす技術を、長年の修行の積み重ねで身に付けました。
いにしえから伝わる本流の焼酎造りの技を体得している数少ない杜氏―。それが黒瀬安光氏なのです。
長年の経験と技が至高の逸品を生み出す
鹿児島酒造の総杜氏として日々焼酎造りに取り組んでいる黒瀬安光氏。杜氏が手掛ける焼酎は、それぞれが個性豊かなものばかりです。例えば「サツマイモは焼いた方がおいしい。女性にも楽しんでもらえる焼酎を造りたい―」。そんな思いから10年の試行錯誤の結果誕生したのが「やきいも焼酎」。一つひとつ丁寧に焼き上げた焼きいもの豊かな香りと甘みを含んだ風味は、ほかの焼酎に類を見ない逸品です。
そんな黒瀬安光氏の技術が高く評価され、2010(平成22)年には、優秀技能者として鹿児島県知事賞を受賞。2013年(平成25)には、卓越した技能者に贈られる厚生労働省「現代の名工」を受賞するなど、数多くの賞を受賞しています。
また、俳優杉良太郎氏のオリジナル焼酎を手掛けるなど、黒瀬安光氏が手掛ける焼酎は、各界の著名人からも愛されています。
杜氏としての心得を、黒瀬安光氏はこう語ります。
「特別なことは何もない。
ただひたすらに焼酎を思い、好きでいられること」